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Andremo in città 悲しみは星影と共に

イタリア・ユーゴスラビア映画 (1966)

イヴァン・ヴァンドール作曲の悲しいメロディーで知られる半世紀前のイタリア映画〔数十年前でも、映画は観たことがないが曲だけは知っているという人が大半だった=私もその一人/そして今では、その曲も忘れ去られてしまって久しい〕。曲を知らない人のために、ネット上で聴ける中で最も雰囲気の近いものを紹介すると、https://www.youtube.com/watch?v=cbpTHnrBtkIもしくは https://www.youtube.com/watch?v=FZN0KKw6GtE となる〔2つとも同じだが、どちらかがアクセス不能になるかもしれないので2つ示した〕。イタリア映画なのだが、不思議なことに舞台はイタリアではなく、登場人物もイタリア人ではない。映画の舞台となるのは、アドリア海を挟んでイタリアの対岸の旧・ユーゴスラビア。ナチスが悪者になる映画で彼らが英語を話していてもあまり違和感はないが(ナチスを批判するために米英が映画を作るのは納得できる)、場所がセルビアで、セルビア人がイタリア語を話していると、不思議な気がする。イタリア人の監督ネロ・リージは、なぜこんな題材を選んだのだろう? イタリアもドイツに加担してユーゴスラビア王国侵攻に参戦したからか(贖罪意識)? しかし、セルビアを傀儡統治し、ユダヤ、ジプシー、パルチザンの抹殺を実行したのはナチス・ドイツであってイタリアではない。それなのに、如何にもイタリア式の安手の恋愛と、お涙頂戴的な語りが入ると、「この監督は悲惨な歴史を描きたかったのではなく、あくまで甘くて悲しい物語を作りたかったに違いない」としか思えない。1966年の公開後〔日本語のサイトで1965年とあるのは間違い〕の受賞歴はゼロ、そして、イタリア本国で未だにDVDが発売されていない〔評価されていない〕のは、こうした詰めの甘さが原因であろう。確かに、観ていても、主人公の17歳の娘レンカ〔演じているジュランディン・チャップリンは当時21歳〕とパルチザンの闘士イーヴァンとの身勝手な恋の犠牲になる盲目の少年ミーシャが、あまりにも不条理で、脚本の未熟さに不快感を抱かざるを得ない。

映画の背景となる、当時の状況について、簡単に触れておこう。ドイツ・イタリア連合によるユーゴスラビア王国侵攻は、1941年4月6~17日に行われ、わずか11日で王国軍は降伏した(軍備があまりに非近代的だった)。映画の舞台となるセルビアはドイツに占領され、セルビア救国政府が設置された。その他の地区は、北のスロベニアはドイツの一部になり、クロアチア、ボスニアを含む広大な地域はクロアチア独立国(傀儡)に、南端はモンテネグロ王国(傀儡)になった(下の地図参照/灰色の実線は当時の国境、薄い赤の点線は現在の国境を示す)。ユーゴスラビア王国軍の正式降伏の前、4月13日には、早くも都市に住むユダヤ人の登録が命じられ、直後に移動の自由も制限された。4月29日には、ゼルビア全土のユダヤ人とジプシーの登録、黄色の腕章の着用、夜間の外出禁止、食糧制限、公共交通機関の使用禁止が布告される。一方、ドイツは同年6月22日にソ連侵攻を開始したが、7月7日にいわゆるパルチザンの武装抵抗が始まる。そして、それに対抗してドイツ軍の激しい報復が行われた。Franz Böhme将軍は、ドイツ軍兵士1人の殺害に対し100人、負傷に対し50人の処刑を命じたが、その対象となったのは、共産主義者とユダヤ人(大人の男性)だった(3万人が処刑)。強制収容所への移送は8月から始まり、一番悲惨な例は、翌1942月3~5月にSajmište(サイミシュテ)の強制収容所(下の地図の1~70の数字は強制収容所の場所を表すが、サイミシュテは、「1」〔「セルビア」の文字の上の「41」の左斜めすぐ上〕 )で、ベルリンから来たガストラック(Gaswagen、一酸化炭素中毒による移動式殺人室)で女性と子供6280人が殺害された。レンカとミーシャの送られた先もそこだったかもしれない。なお、レンカとミーシャは、ユダヤ人の父と、セルビア人でキリスト教徒の母との間に生まれた「ハーフ」だ。しかし、1935年9月15日に制定されたニュルンベルク法の中にある、「ニュルンベルク法公布日以降に結ばれたドイツ人とユダヤ人の婚姻で生まれた者は、本人の信仰を問わず『完全ユダヤ人』」とする条項により、ユダヤ人として収容所送りとなる。

時代は1941年。ナチス・ドイツの実質支配下にあるセルビアの片田舎。元教師で、ユーゴスラビア王国軍の将校として対ドイツ戦に行き捕虜となった父には、レンカとミーシャという2人の子供いた。この姉弟は年が離れ、ミーシャは目が見えなかった〔白内障で手術すれば治るという台詞があるが、両眼性先天白内障は生後10~12週に手術しないと意味がない〕。2人の父はユダヤ人、亡くなった母はセルビア人だが、「ハーフ」はユダヤ人とみなされるので、2人の生活は厳しい上に、村を支配している国家防衛隊の指揮官から、父が捕虜収容所で病死したと知らされ悲しみが増す。そんな中で、レンカにとっては、パルチザンとしてナチスに抵抗するイーヴァンとの恋が唯一の心の支えだった。そのためには、盲目の弟の存在は ある意味邪魔なので、柵に縛り付けたり、隣の少女に預けたりして遭っていた。そんな ある雨の日、ミーシャはいち早く父の気配を感じる。父は、病死したのではく、脱走したのだ。その日から、父と一緒の生活が始まるが、家の中に隠れているだけの生活に父は我慢できなくなる。昔から親しかった地元一の金持ちの工場主に匿ってくれるよう頼むが、危険性が高いので断られる。そんな父を見て、レンカはイーヴァンに、父の偽の身分証明書を作ってくれるよう頼む。身分証明書ができ、イーヴァンが届けに来た時、それはパルチザンの一斉摘発が行われている最中という「最悪のタイミング」だった。偽の身分証明書を手にしたレンカの父は、イーヴァンが手渡した拳銃をもって家を出ると、イーヴァンの囮になって逃げ、射殺されてしまう〔父はイーヴァンを救うために死んだ→迷惑をかけると知っていて、なぜイーヴァンは一斉捜査の最中に、わざわざレンカの家に行ったのか? イーヴァンが父に拳銃を渡したことは、自分のために「死んでくれ」と頼むようなものだ〕。事態はさらに悪化する。父をはじめ、その時殺された他の3人も偽のボスニアの身分証を持っていたため、村にいたドイツ兵は、村に残るユダヤ人全員の収容所行きを命じる。レンカはケガを負ったイーヴァンを家にこっそり残し、ミーシャを連れて収容所行きの「死の列車」に乗る〔結局、イーヴァンのために一家3人が犠牲になってしまった→レンカはそれで満足かもしれないが、ミーシャにとっては「巻き添え」以外の何物でもない〕。なお、この映画には、日本版のDVDに附属の日本語字幕以外に、如何なる他言語の字幕も存在しない。従って、今までの経験から、間違っていることを承知で日本語字幕に頼らざるを得ない〔私はイタリアを学んだことはあるが、ヒヤリングはできない〕

盲目の少年ミーシャを演じたのはフェデリーコ・スコロボーニャ(Federico Scrobogna)。出演から半世紀以上を経て情報は何もない。日本公開時の映画パンフレット〔事後購入〕にも何も書いてない。この映画が、初出演。以後、少しだけ脇役として出てはいるが、代表作はこれ1本のみ。盲目の少年を上手く演じて涙を誘う。


あらすじ

映画の冒頭、線路の土手下にいたミーシャが、いち早く「揺れ」から汽車が近づくのを察知する。「これは街へ行くの?」。姉のレンカは「どの列車も 街へ行くの」と教える(1枚目の写真)。貨車の中には人が詰め込まれている。ユダヤ人の強制収容所への移送は1941年8月から始まるので、これはそれ以降ということになるが、ミーシャがランニングシャツ1枚なので、移送が始まって直後なのだろう。その証拠が、「ねえ、どんな列車?」という質問に対する、「初めて見る列車だわ」という返事。レンカは、線路から離れると、野原の真ん中に続いている木の柵の端までミーシャを連れて行き、両手を体ごと柱に縛り付ける(2枚目の写真、矢印)〔これだと、手で顔も触れない。もっと優しい縛り方もあると思うのだが…〕。レンカが、足手まといになる弟を放っておいて走って行った先は、森。そこでは、パルチザンの小隊が簡単な基地を作って隠れていた。イーヴァンは穴を掘った中に隠れていたが、レンカの到来を知って飛び出てくる(3枚目の写真、矢印)。レンカは11日と3時間ぶりの再会だと言うので、あまり会えないことがわかる〔8月10日にStanulovićという山村にコパオニク・パルチザン支隊本部が設けられた〕
  
  
  

一方、柵に縛り付けられたままのミーシャ。その近くで、ドイツ兵が戦車を停めて休息を取っていて、ミーシャに気付く。待ちくたびれてぐったりしているミーシャに、現地語で「トモダチ」と話しかけ、ミーシャの顔を触ると汗だくだ。もう1人が、「酷いことするな」(ドイツ語)と言って、ナイフを取り出してヒモを切ってやる(1枚目の写真、矢印はナイフと切れたヒモ)。「ジユウ(自由)。行けよ」。しかし、目が見えないミーシャは簡単に動けない。それで、ドイツ兵にも盲目だと分かる。休憩終了の笛が鳴り、若い兵士たちは戦車に戻り、いなくなる。ここから、主題音楽が流れ、ミーシャが両腕で木の横棒を触りながら、ゆっくりと右に進んでいくシーンが始まる(2枚目の写真)、オープニング・クレジットが重なる。ミーシャは柵の終点までしか行けない。
  
  

次のシーンでは、2人とも自宅に戻っている。ミーシャは、食卓の端に置かれた2枚重ねの皿の左側にフォークを置き、もう1つのフォークを隣の席(盛った果物の後ろ)に置く。戻ってくると(1枚目の写真、矢印は皿)、今度は、上の皿を取り上げて隣の席に置く。盲目でも、食卓の準備はできる。ナフキンを取って首にかけると、姉が料理(茹でたジャガイモ)を持って入って来る。そして、「隣の席」に置かれた皿に小さなジャガイモを3個取ると、食べやすいように半分に切り、塩をかけ、ミーシャの前の皿と取り替える。「熱いから 気をつけて」。ミーシャは、「トラックが3台いたよ」と話す(2枚目の写真)〔戦車というものの存在を知らないので、音からトラックの一種だと思った〕。ミーシャは、相手がドイツ兵だとは知らないので、ヒモを切った人は 「僕の目が見えないこと、気づいてなかった」と話す。姉は、「余計なことするわね。井戸に落ちたらどうするの?」と批判するが、ミーシャは、縛られている方がよほど辛いので、「もう縛らないで」と強く頼む。「もう1つ食べる?」。「じゃがいもばっかり。のど渇いた」〔4ヶ月前からユダヤ人に対する食糧制限が始まっている〕。姉はミーシャに水差しを握らせる。ミーシャはコップに指を入れると、水を注ぎ始める(3枚目の写真、矢印)〔指を入れるのは、溢れてこぼさないため〕。「僕とは違う言葉を話してたよ」。「ユーゴスラビアには いくつも言葉があるの。私たちのセルビア語、マケドニア語、スロベニア語〔マケドニアとスロベニアは遠い両端。どうしてクロアチア語、ボスニア語と言わないのか?〕。その人たちは どれだったのかしらね?」。「僕は 何語?」。「セルビア語。私やパパもよ」。
  
  
  

簡単な食事が終わると、ミーシャは「パパの手紙読んで」と言い出す。捕虜収容所に入れられた父からは手紙など来ていないので、姉は、「パパは元気で、もうすぐ帰るって」と適当に答える。「読んでよ」。そこで、姉は創作する。「レンカとミーシャ、私の愛する子供たちへ」(1枚目の写真)「お前たちを想うと、解き放たれた気分だ…」。「僕のことは?」(2枚目の写真)。「かわいいミーシャ。いい子にして、姉さんの言うことよく聞くように」〔自分に都合のいい内容に…〕。ミーシャは外に行きたがる。姉:「先に出てて。すぐ行くから」。ミーシャは裏口のドアを開け、すぐ外の編みイスに座る。姉が、父の一張羅の背広を干して埃を叩いていると、荷馬車に乗った農民が通りがかり、1ヶ月分の小麦と背広を交換しようと言うが、姉は断る。その後、隣の家の少女に「ミーシャと遊んでくれない?」と頼む。少女は、ミーシャの手を取って立たせ(3枚目の写真)、本を読んで聞かせるために家の中に連れて行く。
  
  
  

村の中央にある国家防衛隊の本部では、ユダヤ人とジプシーが入口に集っている。ドアが開き、中から1人のジプシーの男性が放り出される。「出ろ。盾つくとは生意気だぞ。お前の一族は犬畜生だ。この世から消し去ってやる。その内、唾も吐けなくしてやる。シラミ野郎め。シラミがうつる。近寄るんじゃねえぞ」と罵られる〔これに関して、1941年4月にドイツ兵がNiš(ニシュ)の町を占領した際、シラミを口実に全ジプシーの頭を剃ったとされる。それに比べれば、この、村はまだ甘いが、ジプシーとシラミの結び付きは歴史的事実を踏まえている〕。入口にいたユダヤ人のうち、中年の男性から、「自分たちを中心に 世界が回ってると思ってるのさ」という批判が出る〔4月から男性の強制労働、8月には、男性の強制収容所への移送がもう始まっており、こんな悠長な批判は映画ならではのものだろう〕。レンカもその中にいる。入口の隊員が、「娘さん、中へ」と呼ぶ〔丁寧すぎると思うが、“Signorina” と呼んでいる〕。中にいるボスは、顔見知りなのに、冷たい調子で「ラフコ・ヴィータスの娘だな?」と訊く。「私を ご存知でしょ?」。「知らんとは言ってない。確認だ。そういう規則だからな」。そう言うと、書類を読み上げる。「43歳。教師。妻とは死別。居住地はここ。予備役将校。1940年、歩兵隊中尉として招集」。「相違ないか?」。「はい」。「ラフコ・ヴィータスは1941年4月17日、ドイツ軍に拘束され、捕虜として収容所に送られた。その後、収容所内にてチフスにより死亡」。「そんな」。「間違いない。当局の発表だ。約1ヶ月前との事だ」。レンカは、「見せてください」と柵内に入り、種類に手を伸ばすが(1枚目の写真、矢印)、「認められん。連れて行け」と追い出される。この噂はすぐに広まる。恐らく翌日か、遅くとも数日後、レンカが村の中を歩いていると、村一番の金持ちの奥さんが呼び止め、「お父さんの話は本当なの?」と尋ねる。「ご存知なんですね」。生意気な娘が、「昨日 パパから聞いたわ」と坦々と口にする。思いやりのある奥さんの方は、「いい先生だった」と娘を諌める。そこに、主人のカタンスキが現れ、「お父さんは いい友だった」とレンカの手を取って哀悼の意を表する。「残念でならないよ。惜しい人を亡くした。困ったら力になるからね。いつでもいらっしゃい。遠慮は無用だよ」〔如何にも好人物に見えるが…〕。レンカは、その広場に面したヤコブの洋服屋に寄る。中には何もない〔広場に面した店の多くはユダヤ人の経営で、ほとんどの店が閉まっている〕。唯一あったのはボタンだけ。レンカが父が亡くなったと打ち明けると、ミーシャへのお土産に貴重な飴を渡してくれる(3枚目の写真、矢印)。レンカは、対岸に渡るための渡しに乗る〔舟というよりは桟橋そのものが動く感じ〕。そこで彼女が会ったのは、いつも弟がお世話になっている優しい医者。「あなたもご存知なのね。やっぱり事実なんだわ」。「小耳に挟んだ。こういう話はすぐに広まるからね」(4枚目の写真、矢印は「渡し」)「残念だよ。いい人だった」。レンカは、「あなたを信頼して1つお願いが。いつも 気にかけてくださるから」と切り出し、「ミーシャを1日だけ預かってもらえませんか?」と頼む。もちろん、イーヴァンと逢引するためだ〔信じられないのは、父の死を告げられてすぐに、逢引を考えるレンカの発想〕
  
  
  
  

レンカは、父の死をミーシャに漏らさないよう頼んで分かれる。家に帰ったレンカが、ヤコブのくれた飴をミーシャに渡したかどうかは分からない。翌朝、レンカは森へ向かう。イーヴァンともう一人のパルチザンは、射殺した国家防衛隊の隊員を引きずって行き(1枚目の写真、矢印はナチスの腕章)、湿地帯の中に隠す〔この朝は、2人の隊員を殺した〕。戻って来たイーヴァンは、レンカの姿を見て、「なぜ こんな危険な所に来た?」と咎める。「イーヴァン、父さんが死んだの」。パルチザンの小隊長は、危険なので森を離れるよう全員に指示する〔全部で10数人いる〕。イーヴァンは、「恋人の父の死」についてもっと訊くために小隊から別れてレンカと2人になった。しかし… 2人になってからのレンカとイーヴァンの顔には、絶えず笑顔が浮かぶ。恋する男女そのものだ。イーヴァンが「お腹が空いたな」と言うと、ヤコブにもらった飴を渡す(2枚目の写真、矢印)〔ミーシャにもらった物なのに…/それにしても、レンカの顔には父を失った悲しみのカケラすらない〕。レンカの顔がひときわほころび、「あれよ。間違いないわ。行きましょう」とイーヴァンを誘う。そこは、以前、幼稚園だった場所。2人はそこで、イーヴァンが見つけてきた蜜蝋を舐めあいながらキスを交わす。
  
  

村の中央道路(未舗装)を歩きながら、ジプシーのサーカス団員が大声をあげる。「どうぞ。どなたも お立会い。見た事もないようなショーの始まりだ。大人も子供もユダヤ人も 外出禁止時間の前に来ておくれ。お代は何でも構わんよ。古い靴、マッチ、カブ、馬のエサ、どんなものでも歓迎だ。寄ってらっしゃい、見てらっしゃい」。そして、野原に大きな布を敷いただけの簡単な舞台で、地味なショーが始まる。大喜びではしゃぐレンカに、ミーシャは「もう 置いていかないでよ」と言う〔医者に預けられたことを指すので、これは翌日だろう〕。一番の呼び物は団長があやつる小熊の芸。ミーシャは、「なにやってるの?」と訊く。「熊が出てきたわ」。「それで?」(1枚目の写真)。レンカはミーシャに説明するより、観て楽しんでいたいので、隣に座っていた少女〔前に、ミーシャに本を読んであげた子〕を、ミーシャの隣に座らせ、熊の芸の説明をさせる〔ここでも、レンカの身勝手さが出ている〕。ミーシャは、「レンカ、どこにいるの?」と不安がる。そこに、国家防衛隊の2名がやってきて、「解散しろ」と命じる(2枚目の写真、矢印は小熊)。「なぜ?」。「許可が出ていない。中止だ。家に帰れ」。ジプシーは「娯楽を提供して何が悪い」と抗議するが、「迷惑なんだよ。このシラミどもが」と蔑まれて終わり〔同国人でありながら、ナチスの権威を笠に着て威張る人間は最低のクズだ〕
  
  

このシーンから季節は、季節は夏から秋に変わる〔半袖から長袖に変わる〕。ある夜、イーヴァンがレンカとミーシャの家にやってくる。初めてのことだ。その時、レンカは外出して不在だった。ミーシャは「森の人なの?」と訊く。「人食い鬼じゃないぞ。僕はイーヴァン」。ミーシャは、イーヴァンの腰に拳銃があるのを感じ、「パパも 銃を持ってる」と話す。それを聞いて、イーヴァンは、ミーシャは盲目で、何もできない小さな子だと思っていたので、可愛がって褒める(1枚目の写真)。そして、「お姉ちゃんはどこだい?」と訊く。ミーシャは、これには答えず、「森で銃を撃ってるの?」と訊き返す。イーヴァンは、部屋の整頓が行き届いているので、「きっと お姉ちゃんより、君の方が働き者だな」と再度褒める。しかし、盲目と聾唖をごっちゃにして大声で話すので、ミーシャは「大声出さないでよ。耳は聞こえるんだ」と文句を言う(2枚目の写真)。「ごめん。そうだった」。ミーシャは警戒心が強いのか、「いつ帰るの?」と訊く。イーヴァンは、レンカに会えるまで帰る気はない。「来たばかりじゃないか。座っていいかい?」と頼み、OKをもらう。「レンカは遅くなりそうかな?」。ミーシャは、ようやく「牛乳を買いに行った」と教える。そして、「レンカは きれい?」と訊く(3枚目の写真)〔ミーシャは見たことがないので、相対的評価を知らない〕。イーヴァンは答えをはぐらかす。「かわいいのは 君だよ」。
  
  
  

その時、レンカの気配を察したミーシャは、口に指をあてて「しっ、隠れて」と言う。イーヴァンはカーテンの陰に隠れる。レンカが帰ってきて、食卓の用意ができてないのを見て、冷たく「食事の支度は?」と訊くと、ミーシャが変な声で笑い出す(1枚目の写真)。「何笑ってるの?」。そして、それまでイーヴァンが吸っていたタバコの臭いに気付く。そして、カーテンの中に隠れているイーヴァンを見つけると、抱きしめてキスをする(2枚目の写真)。ミーシャは、「もう見つかったんだ。僕なら もっと上手く隠れるよ」とイーヴァンに話しかけるが、彼にはそんな言葉など耳に入らない。レンカに、「1時間は一緒にいられる」と嬉しそうに言い、レンカは「来てくれたのね」と言って、またキスすると、ミーシャには、「ご飯を食べて 早く寝なさい」と命じる。ミーシャは面白くない。「いやだ」(3枚目の写真)。しかし、姉の、「イーヴァンは、あなたも 父さんのことも好きなのよ」という言葉と、イーヴァンの、「お母さんとも知り合ったよ」というの言葉を聞き、1人で寝室に行く2人だけになると、イーヴァンは、国家防衛隊を攻撃したことで もう森に住めなくなったと窮状を話す。レンカが、「私たちと一緒にいて」と言い出すと、「ミーシャをどこかに預けられないのか? 親戚とか施設とか方法はあるだろう」と、ミーシャを邪魔者扱いする〔イーヴァンの身勝手さと非常さが露呈する〕。イーヴァンは、レンカから父のシャツ2着とタオルと靴下をもらって出て行く〔屋外の見送りでは、マフラーもつけているので晩秋か?〕
  
  
  

ある雨の日。家の中には雨漏りがしている。セルビアの低地の年間平均降水量は540~820ミリで、南西地方は秋に雨が集中するそうなので、この日のどしゃ降りで雨漏りがひどくなったのかも。レンカが机の上のものが濡れないように片付けていると、1メートルほど横に立ったミーシャが、天井を見上げ、「ここも 雨が降ってる」と言って、嬉しそうに笑う(1枚目の写真)。姉は「お鍋が もう1つ要るわ」と言いながら、雨漏りを鍋で受け止めながら、机の上を拭いている(2枚目の写真)。「僕が 取ってくる」。「溜まったら 頭を洗ってあげる。雨水はいいって 母さんが言ってたわ」。ミーシャは、バケツを持ってくるが、途中で、「ノー!」と大きな声で叫ぶ。姉は、「ミーシャ、大丈夫?」と熱をみるが、ミーシャの盲目の目は、遠くを見るように見開かれたままだ(3枚目の写真)。そして、「僕のパパだ」と言うと、玄関のドアに飛んで行き開ける。外は叩き付けるような雨だ。姉は、「ドアを閉めなさい」と言うが、ミーシャはひたすら待つ。すると、そこに1人の男が現れる。中に入ると素早くドアを閉めミーシャを抱き上げて、「ミーシャ、私のミーシャ〔Il mio Mischa〕」と抱きしめる(4枚目の写真)。それは死んだはずの父だった。
  
  
  
  

しかし、姉の顔は複雑で困惑している。父が「レンカ。私だよ〔Sono io〕」と言っても立ったままで飛びつきもしない。「変わり果てたが、父さんだよ」。「父さん〔Tu〕?」。そして、父が姉を抱き寄せても距離を置こうとする〔この辺りの彼女の反応は、見ていて非常に不可解だ。いくら「死亡宣告」を聞いていたとはいえ、何年間も会わなかった訳ではないし、苛酷な捕虜生活も半年以下だ。自分の父親が分からないはずがない〕。ミーシャが「パパ、ずぶ濡れだよ」と言ったので、父は床を見て「あちこち 汚してしまった」と詫びる。姉は、自嘲気味に「あちこち雨漏りするの」と言い、それを受けて、父は「天井を直すとしよう」を言う(1枚目の写真、矢印はミーシャが置いたバケツ)。父は、イスに座るとボロボロの靴を脱ぎ、「帰って来たぞ。私のスリッパはまだあるか?」と訊く。ミーシャは、早速、「僕、どこにあるか知ってるよ」と取りに行く。父は、姉に「お湯はあるかな? まずは体を洗いたい」と頼む。スリッパを持ってきたミーシャに、父は「レンカは どうしたんだ?」と訊く。「信じてなかったんだ〔Non vredeva〕」(2枚目の写真)。「何を信じてなかったんだい?」。「パパだよ〔Che sei tu〕。僕に熱があるって思ってたんだ」〔姉は、ミーシャが最初に叫んだ時、熱があると思っていた→この事に焦点が移り、姉が父を本物かと疑っていた行為が曖昧にされた〕。タバコを吸いながらくつろぐ父。「もう二度と帰らないと思ってたろう?」。レンカ:「手紙をくれないんだもの」(3枚目の写真)〔これで、姉が嘘をついていたことがミーシャにも分かる〕。「お父さんたちは5人で脱走して すぐ散り散りになった。夜歩いては昼間隠れる。それを20日続けた」。父が、体を洗いたいと願う気持ちがよく分かる。上半身裸になった父の肩の傷跡を見て、姉は、「パパなのね〔Sei tu〕」と言って、思い切り抱きつく〔この瞬間まで、彼女はずっと半信半疑でいたことになる〕
  
  
  

収穫後のトウモロコシ畑で、レンカとイーヴァンが会う。イーヴァンは他人名義の身分証を見せ、「皆の分も用意しないと。これが僕の新しい仕事」と言う。重要な伏線だ。次のシーンは窓を閉め切った部屋の中。ミーシャは父の胸に抱かれている。「天井を直すのに2日かかった。これで落ち着けるな。もう家の中で雨は降らんぞ。外からならすぐ終わったろうが、内側からは大変だった。だけど、誰かに見られて逮捕されたら二度と戻れない」。死んだことになっているので、絶対に見つかってはいけない。「隠れていれば、見つかりっこない」(1枚目の写真)。父が、テーブルの上にあったろうそくを取ろうとして動かした時、ミーシャが「それ何〔Cos'é〕?」と訊く(2枚目の写真)。父は、ミーシャの前でろうそくを左右に動かし、「何が見える? 言ってごらん」と訊く。「ぼうっとしたもの」。父がロウソクを消すと、「もうないよ」。ミーシャの目は光を感じることができるのだ。父はすぐに1階に降りると、「ミーシャにろうそくの光が見えたぞ」と興奮してレンカに話す。レンカは冷静そのもの。「お医者様も 前からそう言ってたわ」。「なぜ 私に言わない?」。「白内障で 手術が必要なの」〔この設定に対する医学上の疑問は解説で述べた〕。「前は違ったろ」。「父さんが覚えてないだけ」。それでも、父は、ミーシャを持ち上げ、「旅行しような、お前のためだぞ。読み書きも教えてやろう」と夢を語る(3枚目の写真)。その後で、父は不満も漏らす。「私が自由に動ければなあ。ここは、収容所より酷い。ゲットーよりもだ〔ユーゴスラビアの都市にユダヤ人の強制居住地区としてのゲットーはない〕。自分の家なのに、コソコソせにゃならんなんて。いっそ縛ってくれ。逃げ出してしまいそうだ」〔天井の修理に2日かかったと言っている以上、何週間も閉じこもっていたわけではない。アンネ・フランクは2年も隠れていたのに、何を大げさにと思ってしまう〕
  
  
  

ガチョウの羽むしりのシーン。羽毛をとるためだ。子供たちが貰おうと列を作っている。レンカは、「あなたも貰えるわ」とミーシャに言った後、一人前にいた男の子に、「ミーシャを家に送ってね」と頼んで(1枚目の写真)、駅に向かう。ホームには汽車が着いていて、列車の中は超満員。レンカは強引に中に入っていくと、中にいたのはイーヴァン。レンカは、彼に「父さんが 家を出たがってる。書類を用意できる?」と頼む(2枚目の写真)。汽車はすぐ出てしまうので、レンカは急いで降りる。汽車が動き始めた時は、影の状態から3時より前のはずだが、レンカが家に着いた時には、夕方を過ぎて暗くなっている〔距離的に見て不自然/後で、外出禁止は午後4時からという話が出るので、それにも違反している〕。そして、家の前までくると、木の柵に自転車が立てかけてある。レンカは、家の外から、「ねえ、ミーシャ、誰か家にいるの?」と声をかけてから、家に入る。中には、国家防衛隊の隊員がいた。レンカはミーシャを抱くと、「何事ですの? ここで何を?」と訊く。ミーシャは「迷子になったの」と話す〔男の子は、レンカの頼みを無視した→レンカも無責任〕。「すみません。私のせいです」(3枚目の写真)。
  
  
  

隊員は、そんなことでは許してくれなかった。相手がユダヤ人だと知っているので、レンカが宥めようと持ち出したグラッパ〔セルビアのラキヤのことだが、イタリア同様、グラッパとも呼ばれるので矛盾はない〕をガブ飲みすると、レンカに絡んでくる。その場には、ミーシャもいるのだが、「どうせ ガキには見えないんだ。さあ、いいだろ? もう立派な大人じゃないか。気持ちいいぞ」と迫る(1枚目の写真)。ミーシャは目は見えなくても、耳は聞こえるので、姉の危機を救おうと、とっさの機転で、玄関のドアを開けて「自転車がなくなってる」と叫ぶ(2枚目の写真)。ミーシャにそんなことが分かるはずはないのだが、隊員は「何だって? 軍の物なのに」と慌てて確認に飛び出して行く。隊員が出て行くと、ミーシャはすぐドアに鍵をかけ、「ウソだよ〔Non é vero〕」と姉に教える。ドアの向こうでは、隊員が、「盲目のガキが!」とドアをガタガタさせるが、ミーシャは姉を守るように立ちはだかる(3枚目の写真)。隊員は、小さな子供に騙された自分に失笑しながら去って行く。
  
  
  

次のシーン。夕方、ヤコブが家を訪れ、父に借りていたお金を返そうとする。「お父さんに 昔 借りていた分だよ。戻ってきてほしかったが、今や 君のものだ」。そこに、隣の女の子と遊んでいたミーシャが帰ってくる。ヤコブは、「ミーシャ、これは君に。キャラメルだよ」と紙包みを渡してくれる〔このことから、以前レンカに渡した飴もミーシャのためだと分かる〕。そして、親切なヤコブは、もうすぐ外出禁止の時間だと言って帰り支度を始める。レンカは、「ヤコブ、あなたには言うわ。父は生きてるの」と教える。家に隠れているとは言わなかったので実害はないが、これで時間が4時を過ぎてしまう。「4時2分だな」。「罰金ね」。レンカはお金の一部を返そうとするので、ヤコブは、「悪いが1枚いただいて罰金を払うとしよう」と言う〔このことから、外出禁止が4時だと分かる。そして、レンカもニュルンベルク法により「完全ユダヤ人」と位置付けられているので、この規則に縛られる/レンカは夜にも平気で外に出るし、服に「黄色いダビデの星」もつけていない→そんなことはありえない→脚本のミス〕。次のシーンはキリスト教の墓地。父が、死んだキリスト教徒の母に会いたくて出向いたのだ。レンカは、「危ないわ。一刻も早く帰りましょう」と言うが、父は「キリスト教墓地にユダヤ人。むしろ安全さ」と平然としている(1枚目の写真)。「誰か来る前に行きましょ。カタンスキを見かけたの」。この余分な一言で、父はカタンスキに会うことを決める。2人を先に帰らせると、教会の中に会いに行く。死んだはずの人間が現れたのでカタンスキはびっくりするが、「ここにいるなんて、自殺行為だ」と言い、父が匿ってくれるよう頼むと、「あなたにその権利はない。皆を巻き込まないでもらいたい。早急に立ち去って欲しい」と要求する。「どこへ?」。「どこか大きな街とか。ここ以外なら どこでも」。このセルビア人のカタンスキは、自己防衛的な人間だが、脱走してきたユダヤ人を国家防衛隊に通報するような卑怯者でもない。だから、「これ以上は 何もできん」と言い、有り金をすべて差し出す。しかし、父は、その札束を払いのけ、「ありがとう。だが、お気遣いなく」と断る(2枚目の写真、矢印は札束)。カタンスキは、「昨日、パルチザンがナチスの列車を爆破した。ドイツ人は恐ろしい。必ず報復する」と警告する。父は、「私は悪い夢のようですな。私の事は忘れて下さい。記憶から消して下さい」と言って立ち去る〔カタンスキは悪者のように描かれているが、「超善人」でないというだけで、ドイツ軍に怯える標準的なセルビア人だと思った方がいい〕
  
  

恐らく、その日か、翌日、父は2階の窓からドイツ軍のトラックが走って行くのを見る。父が1階に下りてくると、裏口のドアの下の隙間から、イーヴァンの作った身分証の入った袋が挿入されていた。レンカが裏庭に出ると、イーヴァンの呼び声が聞こえる。イーヴァンは裏庭の一角に脚を撃たれて隠れていた。そこに父もやってくる。イーヴァンは、「家から家へ、シラミ潰しに狩り出されてる」と言う〔それなら、なぜ、そんな時に、迷惑がかかると分かっていて、身分証を届けに来たのか? 撃たれたので 匿ってもらいに来たとしか思えない〕。父は、「後で医者を呼びなさい。君たちはここを動くな」と言う。ここで、イーヴァンは「待って、これを。弾は入っています」と自分の拳銃を渡す(1枚目の写真、矢印は拳銃)〔この行為は、「これを使って攪乱行動を取り、ドイツ軍をこの家から遠ざけて下さい」と言っているようなものだ→父が死ぬ可能性はきわめて高い〕。「あなたはヴァスコ・ゼルニ。印刷工。ボスニア生まれですよ」。父は、裏口から道路に出るが、すぐにドイツ兵に見つかり、5人と3人の2班に追われて畑に逃げ込み、撃たれて死亡する。父以外に3人のパルチザンも処刑される。次のシーンでは、射殺された4人を医者が見ている。医者は、父だと気付いたが、そのことは黙っていた(2枚目の写真)。しかし、国家防衛隊員が、父の偽身分証の記載事項を声を上げて書類に書いていると、ドイツ兵が「村人が一人もいないとは 興味深いな」と言い出す。この村の防衛隊本部のボスは、「村民は皆 平和的なんです」と弁解するが、ドイツ兵は、「そうは言い切れん。列車に乗せろ」と命じる〔これは、ユダヤ人全員の収容所送りを命じるもの。偽造身分証がマイナスに働いてしまった。ここでもレンカの希望にそってイーヴァンの取った行動が、より悪い結果をもたらした〕
  
  
  

レンカは、ミーシャが熱を出したことにして、イーヴァンのために医者の往診を頼みにいく。その帰りに、ユダヤ人の家が、国家防衛隊によって略奪される場面に遭遇する〔しかし、考えてみれば、レンカは、父が拳銃を持って出て行った後に、ドイツ兵が叫ぶ声を聞いていたはずだ。それなのに、あの時以来父は戻って来ない。だから、もっと心配して当然だと思うのだが、レンカにとっては大事なのはイーヴァンで、父は二の次にしか思えない〕。親切な医者は、イーヴァンを診察に来てくれた(1枚目の写真)。医者は、ミーシャの父が死んだことを知っているので、ミーシャに、「今度、指で読める絵本を持ってきてあげよう」と優しい言葉をかける(2枚目の写真)。ミーシャは、その後、姉にベッドに連れて行かれ、「もう寝なさい。でないと、パパが帰ったら 言いつけるわよ」と言われる。「パパは どこへ行ったの?」(3枚目の写真)。「仕事を探してる。手紙をくれるわ」〔ミーシャを安心させるために嘘を付いた〕。2人がいなくなったので、イーヴァンは、医者に、「お父さんは偽名でした。僕が書類を用意した」と話す。「知らんふりをしたよ。2回亡くなったようでね。私にとっては」。「レンカが気づかないといいんですが」〔この卑劣漢は、いつレンカの父が死んだと知ったのだろう?〕
  
  
  

翌日、カタンスキの一家は、戦火を逃れるため、全財産を持って「ルビアーナ」に避難する〔ルビアーナと発音しているが、恐らくスロベニアのリュブリャナのことだろう/この一家はユダヤ人でも何でもないので、避難する理由がよく分からない〕。レンカは出発間際のカタンスキに会い、「父は お宅に隠れているのですか?」と訊く。「まさか。そんなバカなこと、よく思いつくもんだ」。これに対し、レンカは「なぜ匿ってくれなかったの? あなたには危険は及ばないのに」と責める。そして、「あなたも憲兵と同類だわ」と誹謗する〔この監督は、どこまでもカタンスキを悪者に仕立てあげるつもりだ。しかし、カタンスキは臆病者だが卑怯者ではない。逆に、何度も書くが、非常識なのはレンカの方だ。父があんな形でいなくなったのに、カタンスキにところにいると安易に考えたり、否定されると、「それならどこに?」と案じずに、無関係の人物を責める。実に身勝手だ。彼女の論理だと、「カタンスキが匿ってくれなかったから、父はどこかに行ってしまった」となるが、実は、そのずっと前に死んでいた。それも、恋人のイーヴァンを助けるため、ひいてはレンカを助けるためだ。その意味では、父の死の責任の一端はレンカにあり、カタンスキにはない。だから、その日の夜のレンカとイーヴァンとの会話ほど、観ていて不愉快なものはない〕。父が寝ていたベッドに横になったイーヴァンは、レンカに向かって、結婚して子供や孫ができた遠い将来、戦争の話をしても誰も信じないという話を延々とする(1枚目の写真)〔自分のためにレンカの父を殺してしまったと知っているのに、それを隠しつつ、このような空虚で甘い言葉を囁き続けるイーヴァンの非情さ、鈍感さに呆れてしまう〕。翌朝、レンカが何気なく窓の外を見ると、ドイツ軍の将校が2人、家の方を見ている。そのことが何を意味するのか知らないはずなのに〔ここも絶対におかしい〕、レンカはミーシャを起こす。「何時なの?」。「6時」(1枚目の写真)、そして、「静かにね。イーヴァンが目を覚ましちゃうわ」〔彼女は、イーヴァンのことしか頭にない〕。レンカは、「列車が出るわ。急がなきゃ」と言い、急いでミーシャに服を着せる。「どこへ行くの〔Dove andiamo〕?」。「街へ〔In città〕」(3枚目の写真)。そして、「長旅になるでしょうから、きっと寒いわよ」と厚着をさせる。ミーシャが、「僕たちの列車? 何時なの? こんな急な出発だなんて聞いてないよ」と言っても、「イーヴァンを起こさないようにしましょ」だけ。
  
  
  

レンカは、国家防衛隊員が玄関を叩く前にドアを開けて外に出る。「準備はできてます。行きましょう」。隊員がナチスの将校に「こいつらです、ヴィータスの子供たち」と告げる。将校:「レンカ・ヴィータスか?」。レンカが頷く。そして、家に入りミーシャを連れてくる。「ミーシャ・ヴィータスか?」。隊員:「弟です。目が見えない」。レンカは、隊員に「列車ですね?」と訊く。「駅だ」。姉は、ミーシャに、「言った通りでしょ?」と言うが、冷たい雰囲気を感じたミーシャは、「この人たちの声 イヤだ。行きたくない」と言い出す(1枚目の写真)。「言うことを聞きなさい」。途中の渡し場で一緒になった医者は、同行してきた隊員に、「なぜ、この子たちを連れて行くんだ?」と尋ねる。「リストに載ってるので」。「残酷な」。隊員は、しょうがないとばかりに眉を上げる(2枚目の写真、矢印は桟橋状の渡し舟)。レンカは、医者に、こっそりと、「イーヴァンは屋根裏です。助けてください」と頼む。そして、駅。レンカはミーシャを抱いてステップを上がる(3枚目の写真)。
  
  
  

汽車は動き出す。車内はユダヤ人でいっぱいだ。レンカは、ミーシャの気を紛らそうと、「私も 列車に乗るのは初めてなの。自転車や車、馬やボートに乗った事はあるけど、列車は全然違うわ。まるで動く家みたい」と話す(1枚目の写真)。「カーテンやベンチがあって、ストーブにはティーポットが乗ってる」。さらに、外の景色も、見ているかのように話す。「もう家は見えないわ。あら井戸よ。そして、馬が1頭 砂丘を走ってる」。ミーシャは目のことを尋ねる。「何もかも見えるようになるの?」。「え?」。「だから、手術の後だよ」。「もちろん、何でも見えるわ」。「お日様も見えるかな?」。「パパも、イーヴァンも」。「じゃあ、最初にレンカを見る」(2枚目の写真)。この言葉を契機に、テーマ曲が静かに流れ始める。そして、夢のような話は続く。「別の列車に乗って、お家に帰りましょう。何でも 見えるようになってるの。小枝が浮いた噴水。柵に囲まれた小さなお庭。桜の木。薪小屋。ママの椅子。大きなベッドと羽毛布団」(3枚目の写真)。「今、橋を渡ってるわ… 家が見えてきたわ。たくさん… 昼も夜も光に溢れてる… きっと気に入るわ。あなたにも見えるようになる… 何もかも」。この言葉を最後に映画は終る。可哀想なのは、何も知らないミーシャだけだ。
  
  
  

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